免許を取って10年,8万キロを共に走ってくれた愛車たち。
最初の車。昭和末期のスペシャリティーカーブームの中登場した「アートフォース」シルビア。1.8LのCA18DETエンジンは175馬力を発生。当時,絶版車のトヨタAE86レビン/トレノ以外唯一のライトウェイトFRと言うことで大人気になり、カーオブザイヤーも受賞。現在も走り屋には大人気の車である。
最初は予算の関係でエアコンも付けなかった。当時,学生で横浜に住んでいた私は,いわきナンバーのこの車で毎晩のように箱根や鎌倉近辺を走りまくっていた。とにかく傷の耐えなかったこの車,5年目の車検を目前にして,大雨の金沢八景でケツを滑らせてガードレールに激突し、廃車に。安物のセミレーシングタイヤがいけなかった。
とにかく金のない学生時代ゆえ、車をいじるのも大変だった。少しずつお金を貯めて,細かいパーツを少しずつ付けていく感じだった。それに車検も今より厳しかった。マフラーも,当時初めて出た車検対応マフラー(フジツボ)を付けた。まだJASMAができる前だったと思う。その後、RS-Rの織戸スペシャル(織戸学がドリコンチャンプだった頃)マフラーに。こいつは高回転で「キーン」と金属的な音がして,すごく気に入っていた。エアクリーナー,CPUも交換し,足周りにGABスーパーHPジムカーナを組んで,平日の昼間から箱根ターンパイクや芦ノ湖スカイラインに走りに行った。GABジムカーナは一番ソフトにしてもガチガチで、同乗した女の子に吐かれたこともある。FETの120Wヘッドランプリレーキットは,雨で濡れた路面でも昼間のように照らしてくれた。ただ、一ヶ月に一個はバルブが切れたけど。とにかく,いくら書いても書ききれないくらい思い出の詰まった車である。走行距離,約5万キロ。合掌。
シルビアK'sクラブセレクション(PS13)
で、つぎもまたシルビア。ただこいつは,マイナーチェンジでエンジンは2LのSR20DETの205馬力になる。
一ヶ月後に新型シルビア(S14)が出ることは知っていたが、スクープ写真で見て、格好悪かったので(モデル末期で30万の値引き)こっちにした。
前の車は,自損事故で廃車にしてしまったので、この車は大事に乗ろうと心に誓うが、そんな時に限って,一ヶ月でオイル交換専門店で作業中にフェンダーをへこまされたり、友達の家に遊びに行ったとき,そこの駐車場で,ドアからトランクまで10円パンチやられたりと,傷だらけにされてしまう。
この車は吸排気系をちょっといじっただけで,ごく普通に乗る。ただ、前の車はエアクリーナーを買えただけで「プシュー」と純正ブローオフの音がしたけど、この車は「ゼーゼー,しゅー、しゅー」と、何かぜん息の人みたいな音しかしなくなって残念だった。
四年目のある日、フロントタイヤが異常に片減りしているのに気づき,(前の日に東北自動車道を3人乗りで180キロで飛ばしていた。あの時もしバーストしていたら・・・ゾーっ)ディーラーへ行くが,キャンバー調整は出来ないと言われる。
車検も緩くなったし、車高調でも組むか、それとも新車を買おうか悩む。釣りも始めていたので、車の上にアルミボートを乗せられる車を探したりもしたが、AE86乗りの大学時代の友人から,「頭文字(イニシャル)D」と言う,AE86でGT-RやRX-7と峠でバトルする漫画を教えてもらい、すっかりハマってしまった私は「やっぱスポーツカーだぜ!」と,この時点でボートを乗せる車は選択肢から消える。
で、人も乗せられるように4ドアでコンパクトで速い車と言うコンセプトで探し始め、ほぼ、インプレッサに決めていた時、運良く(悪く?)ランエボ5が発表になる。
ランエボ5は,下取り(50〜60万)を入れても予算オーバーだったが、買い取り専門店で83万と言う好条件を得て,さらに何件もディーラーをまわってようやく話がまとまり、現在に至る。シルビアは岩手県にお輿入れしたとか。走行距離,約3万キロ。幸せにね。